オープンマインドって難しい
つい最近、私が務める縫製工場で、女上司と裁断の男の子がもめにもめました。
柄合わせをしなければいけない面倒な裁断。
生地の地の目が斜向気味だったこともあり、どうしても上と下では柄にズレが生じてしまいます。
そんな裁断物をミシン場で縫製する訳ですが案の定、柄が合いません。
ミシン場を仕切る女上司は裁断場の男の子に文句を言いに行きました。
こんなんで縫えるわけないでしょ! と。
男の子は言います。
こっちだって精一杯やってます!
そんなこというなら自分でやって下さいよ! と。
女上司
何、その口の聞き方は!
…
それから言い争いが暫く続き、男の子は
もう無理です!やってられません!
と言って、荷物を持って帰ろうとしてしまいました。
これはマズいと、私は男の子を引き止め、男の子の言い分を聞きなだめ、帰らずに仕事を続けるようお願いしましたが
今日はもう無理です。帰ります。
と帰っていってしまいました。
それから約一週間欠勤が続いています。
おそらくもう戻ってこないでしょう。
女上司も男の子も自分の言い分を通そうと一生懸命で、相手の意見を聞き入れようという姿勢が全くありませんでした。
まずは一旦受け入れる。
その上で、自分の意見を伝える。
そういう姿勢が2人に少しでもあれば、言い争いもヒートアップせず、男の子は会社を辞めようとまでは思わなかったでしょう。
男の子にはオープンマインドって概念を教えてあげたかったんですが、いかんせんそんな性格の短気な子だったので、なかなか理解しようとはしてくれず、自分も諦めてしまっていました。
今後、彼にアドバイスをしてくれたり、本気で叱ってくれる人はどんどん減っていくでしょう。
残念な上司とその部下のお話。
街中の小さな縫製工場
先日、広島の縫製工場クリスメイドファクトリーの栗栖さんが開く相談会に参加してきました。
うちみたいな小さい縫製工場やってみん?
という小さな縫製工場開業セミナーが、参加者のニーズに合わせて個別相談会という形になりました。
なんとか日程が合い、参加することができました。
中学生が書いたような事業計画書を持って参加したのですが、丁寧にアドバイスして頂きました。
私が将来立ち上げたい縫製工場は
「ファクトリーブランドが売りのOEM機能を持った小ロット生産型縫製工場」です。
服が好きですから、デザインもパターンも縫製も全部自分でやりたいと思うのは自然な気がするんですが、それが仕事となるとそうもいかないようです。
まだまだ本当に自分がやりたい事はなんなのか突き詰める必要はありますが、なんとなく分かったのは、趣味としてならいつでも始められるということです。
仕事として。事業として。ビジネスとして。
周りを巻き込んでやるとなると練りに練った計画が必要でしょうが、家族を養うだけの安定した収入を確保した上で、あくまで副業として自分がデザインした服を自分で縫ってお客さんに買ってもらう。
それならいつでもスタートできます。
もう暫くはこんな形でいいのかなと思っています。
今の会社で早く残業をしなくてすむ体制を整えて、仕事上がりに1時間ほど自分のデザインした服を縫って帰る。 そんな生活がしたいです。
でも、もう少し頑張ってみて残業がなくならないようなら早めに転職を考えようと思います。
近況報告
3日坊主にしないと誓ったブログも、気付けば3つ投稿してそれっきりになってました。
私が勤める縫製工場の 近況ですが、7月にミシンメンテの男子が無断欠勤を機に退社してしまいました。
ミシン調整の仕事というのは
・型替わり(ラインで流すアイテムの切替わり)のタイミングで、必要なミシンを用意・調整する
・突然の縫製トラブルに対処する(糸調子や、送り歯のアタリなど)
この2つが主な仕事かと思います。
とにかくチーフ(工程を組み2ラインを指揮するボス) 、リーダー(ライン長)、サブリーダーなんかに呼ばれる仕事なんです。
「〇〇くーん‼︎」
彼が何か悪いことでもしたのというようなきつい口調の大声で呼ばれ、不調なミシンを直す日々。
その呼び声が頭にこびり付いて、夜うなされるようなこともあったそうです。
私は彼のケアを全く出来ていなかったと思います。彼のネガティブな性格も知っていましたし、気にはしていましたが、そこまでストレスを溜め込んでいるとは思わず、彼への気遣いを行動に移したことはほとんどありませんでした。本当に彼に申し訳ない気持ちです。
彼がいなくなってしまった結果、彼がやっていた業務のほとんどを私がこなさなければならなくなってしまいました。
7月末に辞めてしまったのですが、それからは毎日10時過ぎまで残業することが当たり前になってしまいました。
前回、残業をなくすにはというタイトルで書きましたが、さらに残業の要因が増えてしまいました。
私のミシンメンテのスキルは素人同然で毎日手探り状態ですが、2年前にJUKI主催のミシン調整講習に行かせてもらったことがあったので彼の後釜は必然的に私というわけです。
メンテスキルが上がってくれば残業は減っていくんでしょうね。
自分も彼の後を追わないように、労働環境を改善しながら、声をあげながら、会社と付き合っていこうと思います。
残業を無くすには
残業を無くすにはどうしたらいいでしょうか。
今週は毎日9時過ぎまで仕事でした。
定時は5時。4時間以上の残業。
もちろん残業代は出ません。
会社は残業を強制していませんが、残業しないと納期に間に合わないし、就業時間内でやり繰り出来なければ残ってやるしかありません。
定時で帰る人達は言います。
時間内で作業を終わらせる努力が足りないだとか、段取りが下手だとか、どうせ残ってやればいいんだろと諦めてるだとか…
仰る通りです。
でも、俺らが残ってやってるからメーカーとの納期が守られてるし、次の仕事ももらえるわけで、ダメ出しされるばかりじゃノーペイ残業が報われません。
残業の原因から、残業を無くす為の対策を導き出すべく、兎に角書き出します。
・残業内容
主に納品作業(糸切り、下げ札付け、パック)
・その原因
①就業時間内に専任で納品作業をするスタッフがいない
②停滞品(中間検品ではじかれた不良、間接部門の溜まり)が多くプレス・最終検品が遅れる
③ミシン場の糸始末が悪く、中間検品や最終検品の際に糸切りをしなければならず、時間がかかってしまう
④そもそも投入の問題(営業力不足)
多品種・小ロット・短納期の投入が多く、工場の体制が対応出来ていない
こんな感じでしょうか。
これらを解消するには、納品作業専任の人員を確保して、ミシン場で糸始末を徹底して、不良を出さないようにして、営業は大きいロットの仕事だけをとってくる。
全部は出来ないけど、出来ることもありそう。
営業に関しては多品種小ロット化はどんどん進むだろうから、大きいロットが見込める異業種(作業服、制服、スポーツとか)に手を出すか、多能工の小班体制にするとかして小ロットに対応していくか。
残業ゼロ施策はもう少し練る必要があるので、また別の回で書こうと思います。
第一子誕生!
6月21日に第一子を授かりました!
3368gの元気な男の子です!
難産でしたが本当に良く耐えてくれました。こうやって母親は強くなるんだなぁと。
この子と妻のためにもっと稼がなくては。
もう縫製工場の一社員ではいられません。収入を増やす術を真剣に考えなくてはいけない。
それから残業もなくしたい。
いくら働いても賃金が発生しない残業なんてしてられません。家族との時間を確保するためにも会社を変えなくては。
ブログ開設
前にも何度かトライしましたが、3日坊主で終わってしまっていたブログに再挑戦。
山本勝寛さんの『最強の独学術』を読んでアウトプットの重要性を知りました。
勉強していく上で頭の中を整理するのにこの場を使っていこうと思います。
ここから私の自己紹介を少し。
岩手県一関市出身の32歳です。
高校卒業後上京。朝日新聞の奨学金制度を利用し働きながら予備校に通い、何とか大学に入りました。しかし学業と仕事の両立が難しくなり、アパレル関係のアルバイトに切り替え、6年かかって4年制の大学を卒業しました。
大学が渋谷にあり、アパートが駒場にあったため、大学→タワレコ→i&i(古着屋)→ロゴス(パルコB1の本屋)→アパートが大学時代のルーティーンでした。
i&iで古着の面白さやファッションの背景にあるカルチャーを教わるうちに自分でも服を作れるようになりたいと思うようになりました。
大学卒業を前に、新卒を利用してそれなりに就活をしようと思い、UAとBEAMSを受けました。BEAMSは書類で落とされ、UAで内定をもらいました。
卒業後UAに入社し、配属されはグリーンレーベルの新宿店と北千住店で2年半販売員を経験しました。
接客業における傾聴の大切さやオープンマインドの姿勢など、自分の人生における基準となる価値観を身につけることができました。
その後、OEM企業に就職しようと転職活動をする中で紹介してもらった南相馬の縫製工場に縁あって就職することになりました。
ジャケットを丸縫い出来るような縫い子になりたいと思って就職しましたが、男性社員が少ない職場ということもあり管理職候補として働くことになってしまいました。
とはいえ、工場には本縫い・ロック・ホール・閂ミシンなど設備は自由に使えるため、就業時間外で服作りを勉強しています。
今後は自分の成長過程と地方の縫製工場の現状などをこのブログで発信していこうと思います。
プライベートも織り交ぜながら。